こんにちは、岩崎です。
ゴールデンウィーク中は 普段、ゆっくり話せていない家族とすごしました。
すると様々な課題や不満などが溢れだして衝突したりしてました。
ネガティヴな訳でなく、各々がそんな事を考えていたんだというのが、よく分かる時間になりました。
そんな事よりも、 なぜ人は食い違いや衝突が起きるのか?どうすれば回避できるのか?
これに対して対策は、相手の事を考え、アンテナを張っておく事だと一般的には思いますが、、その前に!!
案外自分の事が知れていないのではありませんか?
これに自分はドキッとしたので、自分の事や悩みについてであったり、何故僕はいつもこうなのか?など、自分自身の知り方というテーマで書きたいと思います。
まず自分自身の癖や思考を認知する上で第一に取り組むべきなのが、自分自身の根源的過去だと僕は考えています。
なぜかというと、人は過去の対人との関わりある出来事や経験から「心」を作り、その影響がその人の「行動」にも移って行くのだと僕は思うからです。
しかも若ければ若い程、外部からの影響も多く受けて吸収していきます。
そのまず第一の影響者が親であります。 親の事をどれだけ知っていますか? 親は、過去にアナタを創った。
産まれて初めて出会う自分が生涯よく知る人間になるのが、親です。
だから親のような行動、例えば、口癖や言葉遣い、態度など端々に親の影響があなたに見え隠れします。
犯罪率も幼少期のトラウマや環境でかなり左右されるとも言います。
つまり優秀な親から優秀な子、ロクでもない親の子はロクでもないんです。
例えば、離婚している家庭の子は離婚しやすかったり、暴力を振るうオヤジがいればそんな風に少なからずその子は成りうる要素はあるのでないでしょうか?
死期さえ過去のデータやそのデータを貯めている細胞からわかる程過去の積み重ねられたデータは影響する。
なので「親の顔が見てみたい」とは案外的はずれでない言葉ですし、自己を作る上での、親の存在は重大です。
もし、あなたが客観的に自分の親を見て親に対してあなたが抱く違和感は、あなた自身にも当てはまっていたりします。
外部からの更なる影響は人生の選択で決まる
ただ、それだけで人間できていないのがこの世界の難しいところです。
そこにスパイスとして入り込んでくるのが幼少期以降に関わる友人や読了する本などになります。
つまりステージ毎の環境面もあなたに影響を及ぼします。
どんな友達と側にいるか? どこに住んでいるか? どんな高校、大学か? 上記の質問からあなたが思い浮かべる人や場所、コトがアナタの価値観を動かして変えているのかもしれません。
面倒臭い人の内面を理解する意味のなさ
このような事から人間の内面はすごく複雑で繊細です。
衝突することは必須で、当たり前。 だって、どんな親の元で育ってどんな友達と側にいてどこに住んでいて、どんな高校、大学に通ってたか?全てが違うからになります。
だから揉めたりする事もあるけれど、そんな時は怒鳴ったりせずに一度大きく深呼吸しましょう。
そして双方の思考を探る方向で話を進めた方が自分を知れて生産的かと思います。
でもそんな冷静にできませんよね。僕もそうです。
だからこれからお伝えするトレーニングが必要です。
その上で双方の理解を時間をかけてできる様になります。
これをしてもお互いが理解出来ないともう絶望的ですね。大げんかをし続けるのみ。
双方同じ空間にいるべきではないかと思います。
交友関係における絶交をオススメです。
ただ絶交したいなんて思う人っていませんよね?
であれば、すぐに自分を認知し見つめ直すべきです。
自分の「思考」と「気分」の切り分けの必要性
戻って、自分の思考を探る方法ですが、これはまず自身にかかっている潜在的なバイアスを認知する必要があります。
具体的にどういう事かというと、「気分」と「思考」の切り分けになります。
この「気分」と「思考」は表裏一体的に互いに刺激しあって僕らの行動に作用してしまうんですね。
やっかいですね。
これを混同していてしっかり区別できていないと、
かまってちゃんみたいな人間になります。
「可哀想でしょ私とか!」「こんなに頑張っているのに評価してよ!」「やりたいことが出来ていない!!」とか!
またズレました。
「気分」とは、「眠い」とか「だるい」とか「イライラする」とかほぼ感情に近い関連するモノだと考えて下さい。
「思考」は、これはこうと自分自身が決めているルールです。「 雨の日は、外に今日は出ない。」「誰も自分を理解していない」などなどです。
例えば「憂鬱」「だるい」の気分の時は「外に出たくない」と思考されると思います。
これは逆に「外に出たくない」と思考するのは「憂鬱」「だるい」の気分になっているからと言うこともできます。
この双方がどちらが先に出てきたのかというのは、判別できませんが、 どちらが強い信号を自分に出しているかを感じとって切り分けてあげると自身を知る事になります。
ほとんどの場合、思考が気分に影響しています。
これをしっかりキャッチするには、自分自身にこびりついている自動的な思考ってなんだろう?って問いかける事です。
冷静にいられる一人の時に整理してみるといいですね。
自動化されている「思考」をキャッチしよう
特に対人の場合に発症しやすいので、その自動化されている思考をその場ではキャッチしにくいです。
そんな対人との衝突に関わりやすい自動的な思考はこちらの著書で【図解 やさしくわかる認知行動療法】に認知の歪みとして10種類ありました。
勝手なマイナス思考をカテゴライズしたものになります。
知りたい方は是非これを読んで自分を当てはめてみるといいです。
僕は、この10種類を僕は個人的にしっくりくるモノや他者を思い浮かべて当てはまる事として3つにまとめました。
【1つ目は、マイナス思考的結論】【2つ目は、役割の明確化0か1思考】【3つ目は、個人的感情による決めつけ】です
マイナス思考的結論とは?
これがつまりどういう事かというと、言葉そのままですが、全ての自分に対しての出来事においてネガティブに捉えてしまうという事です。
例えば、好きな女の子(or男の子)からメールの返信がない場合。この出来事に対して、「自分を好きと思う人なんて誰一人いない、生涯自分は誰とも結婚できない」というような自動的思考になり、気分が憂鬱になる。
このような事の積み重ねで中には絶望から怒り暴れだす方もいるとのこと。
このような結論を飛躍させてしまう自動思考は他にもあります。
例えば、「最近上司が食事に誘ってくれなくなった。だから自分はもう出世できないんだ」というような感じです。
役割の明確化!0か1に思考とはなんなのか?
簡単に言うと君はこれするからで僕はこれしますの思考です。
だから君のこれはどんな事があっても手伝わない。するとすれば見返りがある時。
少しわかりにくいので、夫婦をテーマにするとわかりやすいです。
奥さんは家事や育児、父親は仕事や車の運転というような役割とします。
この0か1の思考にある人は、育児に手伝いません。
「してよ!」ってなったとしても「え?なんで?君の役割やろ?じゃあ代価は?」の状態になりがちです。
個人的感情による決めつけとは何か?
これは言い換えるとするとレッテル貼りです。
例えば、「自分は、ダイエットしようとしたが、またアイスを食べてしまった。」
「だから自分はもう太って生きていくしかない。永遠に痩せることができない。人にそう見られるのが怖い」といった感じです。
面倒臭い人間、回避できればハッピー
以上のような自動化されている思考が人間の脳みそは面倒臭いので、過去の記憶や経験、対人関係で勝手に作り出してしまうんですね。
また、この自分自身の事実を知って、また「あぁ、、俺って」ってなる人もいます。
それもそれでいいけれど、こじらせると歪みが爆発して鬱状態にひっくり返るので、すぐに次の回避する手段をとって行きましょう。
回避する手段は、先程の「気分」「思考」の切り分けが前提条件として必要です。
そして自分が勝手に自動化している「思考」を認知します。
後はその「思考」に対して問いかけるんです。
「なぜそうなるのか?根拠は?」
「なぜそうなると言い切れる?」
「そんなに怒る事なの?」
などなど。
つまり、根拠に対しての反証です。
反証とは、その思考は本当に正しいのか?どうかの理由は?根拠は?のバットです。
知っていて欲しいのが、たった一人の人間から自動的に思考された事なんて、勝手な自分自身の幻想です。
いくらでも解釈の仕方や捉え方はありますし、 現実はもっとシンプルに出来ています。
この反証をもっと自分に一呼吸おいて上手く使ってあげて下さい。
現実と自動化された思考とのギャップの中に本当の自分がここでやっと見えてくるはずです。
自分の思考がどれほどくだらないかを認知して回避できます。
認知できたら対策はできますよね?
そのための僕なりのキーワードは譲歩です。
対価を求める事なく譲る事。
これが、僕みたいな人間の生きる術です。
おわりに
いかがでしょうか?
あなたの自動思考はどんなモノですか?
これが悪いとか良いとかではなくてしっかり自分を認知して良い所悪い所を強化改善していきましょう。
そうすればきっと対人における様々な悩みすれ消えていくかと思います。
なぜなら自分がどんな人間でどんな時にゴミになるかという事をしっかりとキャッチ出来ているからです。
人間に完璧な人などいないですが、完璧に自分の事を理解していて、対処しようと考えている方は主観ですが実際少ないと思います。
なぜそうなるかと言うと、人間の脳みそは都合よく作られていて、自分の不利なる情報は歪んで自分の脳に刻んできます。
恐ろしいですね。あー怖い。
ではでは、
まとまりありませんが、僕はこんなもんです。
終わります。
終わり