こんばんは、本日29歳になりましたデザイナーのブンです。
おめでとうございます!
ありがとうございます!
今日は20代最後の1年ということで、珍しく抱負的なものでも書こうかと思います。
と言っても抱負なんて何の意味もありません。
そもそも私は極度の飽き性なので、趣味も日記も習慣も続かないタイプです。
抱負なんて考えた次の日には忘れています。
ですので、29歳の誕生日こんなことを考えていたよ、という備忘録的な感じでここに残しておこうと思います。
オーソドックスに内包する
私は基本的にオーソドックスを尊重します。
デザイナーなんかをしていると奇抜なものが好きなように思われますが、あくまでもオーソドックスをおさえたうえで個性的なものが好きです。
若い人がたまに胸元をやたらとあけて浴衣を着ていますが、まったく美しいと思いません。
美しい着付けをした上で、小物や柄で小粋に魅せる人に惹かれます。
スーツもタイトなシルエットの方がイマドキです。
でも個人的には袖の出る長さなどを含め、体型にジャストサイズで着こなしている人のほうが素敵だと感じます。
基本がわからないままやりたい放題自由にするのではなく、伝統や正式な形式を理解した上で、その中に個性を内包する。
私はこれまで行き当たりばったり、力技で切り抜けてきました。
しかし会社が少しずつ成長してきた中で、いま改めて基礎を振り返る時間が持てるようになっています。
これからもデザイナーとして仕事をしていく上で、30歳を迎える前にまずはオーソドックスを理解し身につけ、その中に自分にしかない何かを内包していければと思います。
クセのある大人かどうか?
私は昔からぼんやり「カッコイイ大人」のイメージがあります。
その人はこんな人です。
- 誰かに自分の人生をまるっと見られた時、恥ずかしくないよう生きている。
- この瞬間に死んでも、大切な人への感謝だけがあり、何ひとつ後悔がない。
- プライドと謙虚さを持ち、常に溢れる探究心を行動に変えている。
私は悩んだり迷ったりすると、その人がどちらを選ぶか?どうするか?を基準に考えるようにしています。
しかし29歳になった今、その人は少し変わってきました。
変わったのは「クセ」があるかどうか。
私が考える人間性を持ちながら、100人いたら5人位には猛烈に拒否されるようなクセ。
隠したり、誤魔化したりしていた自分の中の汚い部分、本来人に見せたくない部分。
それをあえて見つめる。そこが自分自身だから。
このバランス感覚を保っていくためにも、30歳までの残り1年間。
自分の行動や言動、あるいは人生に関わる選択を迫られた時、自分のイメージするその「クセのある大人」の判断を尊重するようにします。
いつも尖った無邪気さを装備する
正直わたしはまったく可愛くない奴です。
自分でも理解した上で「別にそれでいい」と思っているので、直ることは無いでしょう(アカン)
かと言って、このまま可愛さを持たず乱暴に生きていたら、「若いから」で許される年齢はとっくに過ぎているので自然に忘れられる存在になってしまいます。
コワイ。
じゃあこれからの自分に必要なものは何だろう?
そう考えた時、「尖った無邪気さ」だなと思いました。
単純に無邪気なだけではなく、自分の信じる刺のようなものを持っていて、時々その尖った先がキラリと光ってる。
というのも、自分の尊敬する先輩たちがまさに「尖った無邪気さ」を持った人たちばかりだから。
わたしも働く女として30代に入るまでにこの「尖った無邪気さ」を装備しておきたいです。
そんなわけで
ハッピバースデーあたし!!
今年は自分で自分へのプレゼントは何も買っていません。
30歳の誕生日、自分で自分にプレゼントしようと決めているモノのために、今お金を貯めているからです。
そして1年後の自分よ。
君は1年前こんなことを考えておったぞ。
その手にそのプレゼントを持っていることを信じて!
あでゅ〜!!!