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学生が生き様を決めるのに必要な、キャリアの真の定義とは


「キャリア」という言葉をご存知でしょうか。言葉自体はよく聞きますね。しかし、キャリアという言葉を本当の意味で理解している方はどれくらいいるでしょうか?

 

特に日本においては根深い問題が潜んでおり、「キャリア」の誤解を深めていっているように感じています。キャリアに絡みつく誤解を解き、これから僕らが向かっていくべき道を見せる。それが今回の目的です。

 

日本におけるキャリア

日本の就職って、すこしヘンです。そもそも大学の時点で「これをやりたいから、この大学へ行こう!」と考えていることは少なく、基本的に「どの大学へ行こう?」から入ります。そのため大学生活の中で、仕事に関する専門性を育むことも稀。

 

海外大学生の多くはまず専門としてこれからやっていきたいことがあり、そのためにどの大学に行くべきかを決めるので、大学の時点である程度仕事の方向性は定まっています。在学中にほぼプロレベルのスキルを培ってインターンへ行き、そのまま就職する、というパターンも多いようです。一方で、日本では大学を「将来設計の1つ」として見ることはあまりなさそうに見えます。

 

そして、就職。

 

専門性を育むことをしなかった多くの日本の大学生は、就職が近付いてくるにつれて焦り始めます。「あれ、何をしたいのか、何をすればいいのかわからない・・・」と。よく考えれば当然です。そういうことを学ぶために、大学は設計されていないからです。大学の「外」で学ぶしかありません。

 

しかし、この構図が見えていない人にとっては、大学へ行くこと自体がある種の「正解」となってしまっているため、多くの人が就職直前までこの問題に気付きません。なんの武器もないまま、就活へ挑むことになりました。こうなったとき、当然何も武器がないのですから、自分に自信がありません。自信がないし、何をしたいかもわからない。さて、どうしよう。この状況でも満ち足りた人生を歩むためには、どうすればいいだろう。

 

自分に自信がなければ、企業の看板を借りればいい。こうして就活は、「どこの企業へ行くか?」が最終着地点になっていきます。特定の企業へ入ることがゴールである日本の就活観におけるキャリアは、「入った企業で、どうやって昇進していくか?」といった意味合いを持ちます。しかし本来、キャリアとはそういうものではないのです。

 

本当の「キャリア」

キャリア(career)の語源は、英語の馬車「carriage」の轍だそうです。馬車が通った後には、通った跡、轍が残る。この轍こそが、キャリア。ならばキャリアとは、「会社の中でどう昇進したか?」といったものではなく、「人生をどう生きたか?」というすべてのプロセスを語ったものであるはずです。「生き様」と言い換えてもいいでしょう。

 

そう考えたとき、1つの会社の中での遍歴を「キャリア」と呼ぶことに少し違和感を覚えませんか。それが人生でしょうか?ある大学へ行き、ある企業へ就職して部長になった。これがキャリアだとすれば、すこし虚しい気がしてなりません。キャリアはもっと、大きな概念なのです。
キャリアを決めることは、「どこの企業へ行きたいか?」といったことではなく、「どんな人生を歩みたいか?」を決めることなのです。逆に、キャリアを決めずに人生を進めることは、何も持たずに海へ飛び出すようなものです。どこへ辿り着くのかわかったもんじゃありません。特に社会は荒波の多い大海原です。ここでキャリアを持たずに泳ぎだそうものなら、ほぼ100%の確率で溺れ、どこにも辿り着くことはありません。

 

なにかを目指すのならどの船に乗り、どこまで行くのか。乗り換えるのはいつか。自分で船を作るか。泳ぐか。仲間を探しに上陸するか。さまざまな選択肢から、目指す方法を考えなくてはいけません。目的地があれば、そこまでに何をすればいいのかぼんやりと見えてきます。就活はあくまで、「どの船に乗るか?」という話でしかありません。その船がどこに行くのか知らないのでは、乗る意味もありません。船での生活を満喫したいのであれば構いませんが、何か目指すものがあるのであれば、その船が自分の目的地に走っていることを常に確認しなくてはいけませんね。目的地と違う方向に走り出したのであれば、降りても、乗り換えても構いません。いまは、そういう時代なのです。

 

キャリアを自由に選ぶ時代、必要なモノ

いままでは、企業が中心の時代でした。モノが不足している時代には、モノを作ればとりあえず売れました。そのため、需要があるものはとにかく大量に作ればその分利益も出ていました。その場合、明らかに企業単位での大量生産体制の方が個人より有利です。こうして企業優位の時代が続いていました。しかし、現代はモノ余りの時代です。需要が飽和し、なんでもかんでも売れる時代は終わってしまいました。

 

「便利なものがほしい」といったざっくりとした需要はすべて満たされてしまったことで、需要は多様化し、複雑になり、細分化されています。需要は大局的に捉えることが難しくなり、どんどん「個人」が抱える細かいニュアンスを捉えなくてはいけなくなっています。変化も恐ろしく早い。こうなってしまった現代では、需要を企業単位のマクロで捉えることはできません。それでは間に合わない。そのため、これからは人々が持つ細かい需要を捉えられる「個人」にスポットライトが当てられていきます。

 

そういう「個人」が、企業やコミュニティをまたいで活躍する時代がやってきているのです。自由に船を乗り降りできる人こそ、いまの時代で活躍し、望む目的地に辿り着く人になっていきます。youtuberやインフルエンサーと呼ばれる人たちが活躍するようになった背景もまったく同じです。僕たちの細かい需要やインサイトを彼らのような一個人が捉え、それがビジネスとして成立する時代になってきているということです。

 

まさに、1人1人がタレントとなるべき時代です。

 

このご時世に、「どの会社へ行こう?」なんて考えるのはまさにナンセンス。主役はあなた自身なのですから。あなたの流れる人生の中で、「いま、どこにいるべきか?」を考えればいいのです。たまたま目的地が同じ会社であれば、目的地が一致している間は乗り合わせて、必死にその船を漕げばいい。「乗りかかった船」と言いますね。まさに、乗りかかった船に、乗りまくればいいのです。それが許される時代です。

 

ただしそのためには、乗船を許してもらい、船を漕ぐ力が求められます。乗船を許され、船を漕ぐ力を証明する証こそ、「評価」です。これからは、評価によって価値を判断される、評価経済の時代がやってきます。

 

 

生き様を決める。

しかし、特に学生にとって評価を集めること自体容易なことではありません。現代ではまだ評価は「企業」に貯まるからです。企業が個人を評価し、その評価が社会でも通用する状態です。日本ではなかなか会社名や職歴などで判断する癖が抜けないでいます。まだ個人を評価する仕組みが十分ではない。youtuberやインフルエンサーもまだ仕組みとは言いがたいでしょう。誰でもできるものではありません。いまの時代に評価を集めるためには、一度社会へ出なくてはいけません。評価してくれる主体は企業だからです。

 

そして学生が自由にいろんな企業へ行き、評価を集めることができる仕組み。それがGOuniteです。

 

学生が1つの企業へ所属せずにいろんな企業を体験して回り、評価を集めながら、キャリアを考えるためにこの仕組みは誕生しました。社会をまったく知らずに、キャリアを描くことは難しいです。実際の荒波を見て、どうやって超えていくのかじっくり考えなくてはいけません。じっくりとキャリアを描きながら、どんな船にも乗れるように評価を集めていきましょう。いまから行動を始めれば、あなたのキャリアはどこにだって向かっていきます。

 

あなたの生き様を決め、かっこよく生きていきましょう。

 

 

 

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