現代はものすごく変化の激しい時代です。10年前はまだスマホも持っていませんでしたが、今や手元にあるスマホでほとんどのことができてしまう。これからの変化も、スピード感のあるものになるに違いありません。
ただこの変化に、日本社会はあまりついていけていないように見える。日本の国際競争力が弱くなっている感覚は、あまり詳しくは知らない僕らにも伝わってきます。それは、いままで上手くいっていた仕組みが機能しなくなったのに、その仕組みを放棄するのが恐いから。ずっと同じことをしようとして、時代に置いていかれてしまっている。だとすれば、僕らもいままで通りではいけません。何かを変えないといけない。これからの時代の変化と、そこから「個人」は何を目指していけばいいのか。考えてみました。
弱体化する日本
TOYOTA、SONY、Nintendo、、、
日本は世界に誇るモノづくり企業をいくつも抱えています。メイド・イン・ジャパンという言葉に「安心・高品質」といったニュアンスが含まれているのは、こういった大先輩企業たちのおかげ。日本企業としての1つの最終ゴールであると言ってもいいのではないでしょうか。
こういった企業はいまは「大企業」と呼ばれ、ずっと日本を引っ張ってくれています。しかし、そういった企業がいまも日本を引っ張ってくれてるにも関わらず、日本の競争力は落ちていると言われています。世界経済フォーラム(137カ国・地域の競争力を順位付けした2017~18年版の報告書)では昨年から順位を一つ下げ9位になったようです。思ったより高いな、という印象ですが、正直日本人としての肌感ではもっと大きな勢いで日本の競争力は落ちているように感じます。
日本が戦えなくなってきている要因は、社会構造的な問題に潜んでいました。
「企業」が主体の時代
日本の競争力が高かった時代は、モノは作れば売れるような時代でした。フランスの経済学者セイの言葉を借りれば、「供給はそれ自らの需要を生み出す」ということが起きる時代です。
この時代はまだ「必要なのに、まだ存在しない」ような、明らかな顕在ニーズがごろごろと存在していました。洗濯機やエアコン、クルマといったモノには、誰から見ても明らかにニーズがあったと思われます。誰にとっても「必要」になるモノ。しかし、それを実現する技術やテクノロジーがまだ完成していなかった時代です。
このような時代では、いかにそういった「必要」を刈り取るモノを作れるかどうかが鍵になります。そのとき、日本の企業は圧倒的な強さを発揮しました。トヨタ式生産方式に代表されるように「組織単位での生産」に関しては日本は非常に強かった。日本の真面目を義とする国民性も相まって組織の生産体制が整いやすく、作るモノさえ決まっていれば高品質、高生産性で回る仕組みができていました。いわゆる日本的経営と呼ばれるものですね。いまでは批判的な声も多く聞かれますが、この時代には高い競争力を維持する上で一役買っていたのです。
このようにニーズがわかりやすく、何を作るかが明確な時代であれば、大きな組織主体で高品質な製品を大量に生産した方が利益は大きいに決まっています。この時代は、「企業」主体の時代なのです。
企業主体の時代は日本的経営と相性がよかったので、日本の競争力も高かった。つまりこの時代、日本という国の単位は「企業」であったと言えます。企業という単位を大きくすることで、日本という国は大きくなっていました。しかし、時代は変わるもの。企業単位では立ち行かなくなる時代がやってきてしまいました。
企業主体の時代の限界
現代は、「モノ余りの時代」と呼ばれています。
なぜモノ余りなんて呼ばれているかと言えば、「需要が飽和したから」でしょう。正確には、「わかりやすい需要が飽和した」と言った方がいいかもしれません。テクノロジーがものすごい勢いで発展した結果、今まででは考えられないスピードでモノを作れるようになり、今いままででは作れなかった超複雑なモノも平気で作れるようになりました。
いままでの文化成長スピードとは一線を画していて、大衆の需要を満たすスピードが半端ではありません。多くの人が一様に持つ「必要」からくる需要は、ほぼ満たし尽くしてしまいました。
こうなってしまうと、必要に駆られるモノがほとんどないので、需要が生まれなくなってきます。需要の飽和です。需要の飽和なんて誰も予測していませんでした。
経済学の前提条件は、「需要があること」です。供給はそれ自らの需要を生み出すというセイの法則も、これに準じています。この前提条件がいま、崩れているのです。未曾有の事態が発生しています。しかし、これはマクロに見たときの話です。ミクロに見ると、実は結構需要って転がってます。
明らかに大きな需要はなくなりましたが、人びとがそれぞれ抱える細かいニュアンスを含んだ需要は、あちこちに点在しています。これを一般的には「インサイト」と呼んでいます。インサイトを捉えることさえできれば、いまでも「必要」なモノは作ることができます。
しかし、このインサイトが難しい。個人個人が細かく持っていて、移り変わりも激しいものです。時代の文脈と、個人の抱える感情や状況を鮮明に捉える必要があります。そう、とっても細かくて、うろちょろするインサイトを、企業単位で捉えることに限界がきているのです。「企業」主体では、変化スピードに間に合わなくなってきました。そしてここから、「個人」の時代がやってきます。
「個人」が主体の時代
Youtuberやブロガー、フリーランスといった新しい働き方をする人が増えてきました。彼らは言うまでもなく、「個人」です。彼らは自分で需要を見つけてきて、自分で供給します。つまり、需要(インサイト)の発見から供給までのタイムラグがほとんどありません。発見と意思決定を1人でやっているからです。
企業は大きければ大きいほど、このタイムラグも長くなってしまう。発見から意思決定までに複数人が絡むことが多いでしょう。移り気なインサイトはそんなの待ってくれません。
需要が細かく、移り気な現代では、明らかに「個人」のスピード感が大事なのです。企業体であっても、スピード感は「個人」であるべきです。そういう意味で、現代は「個人」の時代になってきます。
そんな時代ですから、インサイトを捉え、そのインサイトを満たす方法を独自に見出せる個人は、どんな企業だってほしいわけです。しかし、人口減少でそういった個人の総数も減り、人材としての需要が高まるので、様々な企業で取り合いになっていきます。
ただ、これからは「個人」の時代。そこまで需要の高い人材は1つの企業に収まっておく筋合いはありません。必要としているいろんな企業で、いくつでも仕事をすればいい。こういった働き方を「複業」と呼び、最近トレンドになり始めているワードです。個人が主役となり、いろんな企業を飛び回る時代の兆しは、少しずつですが見えてきています。1人の個人を、複数の企業がシェアをする。シェアリングエコノミーの1つのカタチとなるかもしれません。
部分最適から、全体最適へ
「企業」主体の時代には、個人は1つの企業を選び、そこへ「就社」するという考え方でした。これを日本という社会全体で見ると、会社という単位の中に個人を最適化させる「部分最適」の時代であったと言えます。人材はあくまで1つの企業の中でキャリアステップを考え、企業の成功に個人の成功も委ねられているような状態でした。
しかし現代で、部分最適の時代は終わりを告げるでしょう。個人が独自に活躍したり、さまざまな企業へ入りながら社会をまたいで活躍する。そうやって企業単位ではなく、社会全体を1つの単位として最適化していく、「全体最適」の時代がやってきます。
全体最適の時代には、社会が持つ細かいインサイトを掴み、そのインサイトを刺すためには何をするべきかを考えられる人だけが、いろんな場所を埋めるピースになっていきます。部分最適の時代ではほとんどの場合、1人の人間が埋められるのは1つのピースだけでしたが、全体最適の時代には1人でいくつものピースを担うことができます。
社会を広く埋めるような人たちは、様々な経験を積み、多くのインサイトを掴む人たちです。社会を深く観察するには企業よりも、個人が向いています。
これからいろんな企業で活躍して、社会を埋める重要なピースになりたいなら、とにかく、いろんな社会を見ておくことです。同じコミュニティの人たちだけでは、少し足りません。社会にはなかなかいろんな人がいますから。そういう人たちを見て、感じて、蓄積していく。そうすれば「人」がわかってきます。そうすればインサイトが見えてきます。そうすれば、社会を埋める代わりの効かないピースになることができます。
1つの企業の中に自分を当てはめてしまうのは「部分最適」の考え方なので、このご時世にはキケンな考えです。
1つ視点を上げて、社会全体を見渡しましょう。「個人」として、社会をどう埋めていくか。そのためには何が必要で、どこに行くべきか。こういった考えを持つことができる人だけが、「社会人」と。呼べるようになっていくでしょう。
かっこいい「社会人」に
全体最適の時代に「社会人」になろうと思えば、若いうちから社会をたくさん見て回らなければいけません。特に、大学生の人たちには社会で経験を積み、肌感覚まで社会を落とし込んでから自分の進んでいく道を決めてほしい。
でも、そういう仕組みってまだなかなかありません。
短期インターンは会社がいい人材を集めるために会社を宣伝するもの。企業の日常とはかけ離れた「かっこつけた」姿しか見せてくれません。社会って、そんなキラキラしたことばっかしてません。泥臭くって、しんどいところも含めて社会です。「会社が見せたいこと」ばっか見てても、社会なんて見えるはずがない。
長期インターンも、一度「行く!」って結構な覚悟を決めてから行かないといけないし、「合わないなー」ってなってもなかなかやめづらいのも事実。軽い気持ちで行けるようなものではないので、社会を見渡すには少し重たい。
それでも学生にはいろんな社会を見てほしくて、新しい仕組みを作ってみました。
それがGOunite。
学生は8日間、1つの企業の日常にポンと飛び込みます。そこは飾りのない、すっぴんの社会です。たったの8日間ですが、企業ごとにカリキュラムを組んで、その企業を一番よく体感できる仕事を抽出しています。社員さんたちは普通に働いているので、リアルな環境の中でその仕事を体験できます。スケジュールを見ながらだいたい1ヶ月の中で8日間なので、他のやりたいこととも両立可能。それぞれの人生に合わせたペースで、社会の経験を集めることができます。
GOuniteで社会の経験を積んで、社会をしっかりと体感して、理解しましょう。そこからあなたが「個人」として、活躍していく道筋が見えてきます。GOuniteを使って、かっこいい「社会人」を目指しませんか。
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