「発車しまー…す…」
ちょっと気だるそうな運転手さんのくぐもった声と共に、ゆっくりとバスが動き出す。
その日は雨が降っていて、車内はいつもより人が多く、高校生の私が堂々と座れるような席はどこにもなかった。
仕方がなく前方の席の横に立って、吊り革につかまろうと、私は無意識に右手を伸ばしかけた、が。
(あ、ダメだった)
腕を挙げたことでブレザーの袖のところから丸見えになった右手のソレ(・・)に目がいって、私は慌てて右手を引っ込めた。
代わりに左手を伸ばし、内心ホッと息をつく。
車窓に張りめぐらされる雨の膜が、私の姿をぐにゃりと曲げて、まるで私の存在自体が“違和感”とでもいっているかのように感じられた。
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こんにちは、初めまして。
未来電子テクノロジーで長期インターンをさせていただいている、京都大学文学部3回生の鈴木萌里といいます。
インターンでは普段ブログの記事を書いているのですが、今回は「自分らしい記事を書かせてください!」とお願いして、新たな記事の執筆にチャレンジしました。
テーマは私自身の受験時代の話なのですが、「京大に受かるための勉強法」とか、「京大受験のためにどれだけ勉強したか」とか、そういった話をするつもりは全くありません。
ただ、私が経験した「他の人とはちょっと変わった」受験の話を、その時感じていたことを織り交ぜながら綴っていこうと思います。
***
■ハジマリ
初めて右手に違和感を覚えたのは高校三年生の7月頃だった。
その日、初めて予備校の京大模試を受けることになり、国語、数学…と順調に問題に取り組んでいた(解けたとは言っていない)のだが、
あれ…?
最後の科目である英語の問題を解いている際中、ペンを握る右手がいつもより重たく感じられた。
でもその時はまだ本当に少しの違和感だったし、おまけに目の前の長いながーい和訳問題と闘わなければならなかった私は、その“小さな違和感”を特に気にも留めなかった。
それから1か月間は普通に勉強をした。
もちろん手の違和感は消えていなかったが、「とにかく勉強しなきゃ」と、そればかりしか考えられなかった私は、些細なことには構わずに受験生活を送っていた。
けれどその後、右手が「おかしい」と思う決定的な出来事が起こったのだ。
■校内模試で…
私の通っていた高校では、夏休みが明けると校内模試という試験を受けなければならなかった。
模試では理系科目から文系科目まで全ての試験を受ける必要があったため、試験時間もそれなりに長かったということを覚えている。
その校内模試で数学の問題を解いていた時のこと。
(えっ…)
ピキッという軽い衝撃が右手の親指の付け根辺りに走った。
それから、
(い、いたい)
はっきりとした痛みが私の手を襲った時、数学の問題用紙に描かれた図形たちが歪んで見えた。
けれどそんな痛みに耐えている間も刻々と試験時間は過ぎていくだけなので、痛みをこらえながらペンを走らせることしかできなかった。
何とか試験を終え疲労感でぐったりしていると、席の近い友人が
「大丈夫?」
と心配してくれたが、
「う、うん。大丈夫」
ははっと笑って誤魔化すしかなかった。
その日を境に、勉強中にペンを握ると必ず手が痛くなるようになってしまったので、流石にこれはまずいと思って学校帰りに病院に行くことになった。
……
腱鞘炎ですね
病院で下された診断は実に平々凡々な病名だった。
「腱鞘炎ですか」
はい
腱鞘炎ってあれでしょう。
手を使いすぎて炎症を起こしちゃったってやつ。
そういえば中学生の時も吹奏楽部で毎日楽器を持ち続けて、腱鞘炎になったことがあったっけ。
その時はシップ貼ってたら自然と治ったんだけどね。
なんてことを心の中でぼやきつつ、お医者さんに今後どうしたら良いか尋ねた。
うーん、とりあえず勉強やめましょうか
は?
いやいや、私受験生だし、そんなの無理でしょ。
て、無理ですよね
「無理です(にこっ)」
表情から私の心の声が伝わってしまったのか、彼はすまないというような顔をしてこう提案してくれた。
定期的に電気治療しましょう。それから漢方薬を出すので、それを毎日飲むようにしてください
「はあ」
電気治療?
漢方薬??
そんなもので治るのか、という疑問はあったが、手段を選んでいる場合ではなかったので、とりあえずしばらくはお医者さんの指示に従うことにした。
■腱鞘炎の脅威
高校三年生の秋。
周りの皆はいよいよ本格的に受験勉強に本腰を入れて頑張っている時期だった。
それなのに私は日に日に痛みが酷くなり、だんだん勉強に集中できなくなっていた。
放課後の課外授業も病院に行くために休んだり、なるべく手を動かさなくてもできる勉強法を考えたりした。
「なにこれ、にっがっっっ」
お医者さんから渡された漢方薬は、毎日3回飲まなければならなかったけれど、これがもう本当に苦くて…。
苦い上に大嫌いな粉薬だったため、気づけば1日1,2回か、全く飲まない日が続き、検診の度に、
「ちゃんと飲んでます~」
と嘘をついて、また大量に漢方薬を渡される、という負のスパイラルに陥ってしまっていた。
でも、そんなことに時間を費やしているうちに、案の定成績も下がってゆく。
もちろんそれだけが原因ではないのだが、この腱鞘炎が多少なりとも影響を及ぼしていたのは確かだと思う。
“身体が思うように動かなくてイライラしてると、心もだんだん弱気になってくる”ということを私は痛感した。
この先ちゃんと受験勉強を続けられるのか。
受験に失敗したら、どうなるんだろう。
とてもじゃないけど、もう1年手の痛みに耐えながら勉強するなんて考えるだけでぞっとする。
こういった不安が頭の中でぐるぐるぐるぐる駆け巡る。
死んでも今年で受験を終わらせないと、その前に私の右手が死んでしまう…。
でも、
痛い。
私も最初は「腱鞘炎なんて」と、腱鞘炎をそれほど深刻に捉えてはいなかった。
しかし、現実は違う。
本当に痛くて、酷い時は30分手を動かすだけで冷や汗をかくくらいだった。
心配してくれる人はたくさんいた。
一緒に勉強を頑張っている友達や家族、学校の先生が何度も声をかけてくれた。
「大丈夫」
と答える気力しかない自分に、訳も分からず腹が立った。
心配してくれる人たちに「ありがとう」って思いながら、それでも不安は消えなかった。
道行く人々がマフラーや手袋で凍える身体を必死に温め始める季節。
受験も目前に迫った冬になると、私は右手にサポーターをつけないと字が書けないぐらいになっていた。
どんな痛みなのか、他人に説明できないのももどかしくて、ストレスは溜まる一方。
腱鞘炎さえなければ勉強の悩みだけ背負っていればいいのに、と思って普通に勉強できている他人が羨ましくもなった。
最終的にはペンを握るのを想像しただけでも痛くなり。
悪あがきだと思いながら左手で文字を書く練習さえしていた。
怖かったのは受験だけじゃなかった。
私はこうして物を書くのが好きなのだが、もし腱鞘炎が悪化したら将来それすらできなくなるんじゃないかって思ったこと。
本当に、なんでこんな大事な時期に手が動かなくなってしまったんだろうって怒りも込み上げてきた。
学校では周りの皆と違うところを知られたくなかったので、サポーターをつけていることもなるべく悟られないように、冬服の袖の下に隠れるようにして過ごす毎日。
まあ、恐らくばれていたとは思うけれど(笑)
■ピアノに救われて
そんなこんなで痛みに堪えつつ何とかセンター試験を終え、二次試験対策のための授業が始まった。
人それぞれ受ける大学の科目数や、対策しなければならない科目が違うため、皆の登校時間がまばらになっていた時期。
私の右手は、限界をとうに超えていたように思う。
対策授業が終わっていつものように病院に行き、電気治療を受けて帰宅する。
普段は自転車通学だったが、雨の日はバスに乗る必要があった。
バスの中では知らない人たちの目が、自分の右手のサポーターに注がれているような気がしていたたまれなかった。
そんなふうに、ちょっと気持ちが塞がって帰宅した日、ふと家のリビングで眠るピアノに目がいった。
幼少期から高校二年生まで毎日弾き続けていたピアノ。
勉強が忙しくなってやめてしまったピアノ。
なぜかその時、私は1年以上触っていなかったピアノに触れてみたくなった。
ピアノの蓋を開ける時、おじいさんが腰を上げる時のように、ピアノが「よっこらしょ」と言っているようで、おかしくてちょっと笑ってしまった。
「わっ…」
予想はしていたけれど、白鍵も黒鍵も埃だらけで、改めて「久しぶり」と懐かしい気持ちが込み上げてきた。
タオルで埃を拭いた後、私は右手のサポーターを外して、恐る恐る鍵盤に触れた。
「ドー、レー、ミー」
とドキドキしながら親指で鍵盤を押して、少しずつ指を動かしてみた。
最初はとても怖かったし、緊張した。
もしもこれで右手が痛くなったら…という不安が一瞬頭をよぎった。
しかし現実は、良い意味で私を裏切ってくれた。
(痛くない)
そう、鍵盤の上で手を動かしても、全く痛みを感じなかったのだ。
でもその時は「弾き始めだからかな」と思ったので、しばらく弾いてみることにした。
最初は指を慣らすためのハノン、それからバッハの練習曲。
最後に、大好きだったショパンを弾いた。
(あれ…やっぱり何もない!)
どれだけ弾いても痛くならないと分かった私は、気の済むまで弾き続けた。
要するに、「ペンで字を書く」という動作を続けたことで腱鞘炎になった右手は、「ピアノを弾く」ことにおいては全く無害だったというわけだ。
ピアノを弾きながら、今まで腱鞘炎で悩んで挫けそうになっていた心が、ちょっとずつ安らいでゆく。
一つ一つの音が、「大丈夫」だと私に言い聞かせてくれるみたいに、きらきら光って消えていった。
■受験本番
それからはできるだけ前向きに心を入れ替えて受験勉強に邁進できた。
確かに「怖い」という気持ちや、文字を書いている時の痛みは消えなかったけれど、「できるところまでやろう」という勇気が湧いていた。
そして迎えた受験本番。
鬼のような文量で解答しなければならない問題を目の前に、
(ぐっ)
とか、
(ふぬっ)
とか、声にならない悲鳴を上げながら、必死に解答欄を埋めた。
最後には、こんなにたくさん文字を書かなければならない京大の入試に対して、
(ふざけんなーーーー京大~~~~!!)
と訳の分からない怒りを感じながら問題を解き(解けたとは言っていない)、私の受験(という名の腱鞘炎との闘い)が終わったのだった。
■終わりに
3月10日。
合格発表で無事に自分の受験番号を見つけた時、私が最初に思ったことは、
(もう痛い思いしなくていい!!笑 )
というちょっと変わった喜びと、辛い時期を逃げずに乗り越えられたという自信だった。
***
長くなってしまいましたが、これで私の一風変わった受験時代の話はおしまいになります。
なんだか不幸自慢みたいになってしまい、申し訳ありません(笑)。
ただ、腱鞘炎に限らず、私のように「なんで今なの?」という大事な時期に、ケガをしてしまったり、病気になってしまったり、その他色んな要因で“大切だと思うこと、やりたいこと、やらなければならないこと”ができなくなってしまう経験をしたことがあるという方もいらっしゃると思います。
それこそ、私の例なんかより大変な思いをされている方もいらっしゃるでしょう。
でもそんな時、ふと周りの人の声に耳を傾けてみたり、やるべきことからいったん離れて癒しを求めたりしてみると、案外簡単に戻って来られるのかもしれませんね。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
***
カフェで一息つきながら周りを見渡すと、皆パソコンやスマホの四角い枠を食い入るように見つめている。
あれから3年経った今でも、私の腱鞘炎は完治していない。
最近ではキーボードを打っている時でさえ右手が痛くなることがある。
でも、私はきっと手を止めないと思う。
文字を書くのが好きだから、止められないと思う。
バカだけど、誰かに不安を聞いてもらいながら、時に手を休めて娯楽に耽りながら、また「書くこと」に戻ってこよう。
そんなことを考えながら、冷めてしまったコーヒーを飲み干してお店を後にした。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
実は最近、
「長期インターンのことも、書いてよ。」
というリクエストをいただいたので、新しく記事を書かせていただきました。
もし良ければ読んでください!
“書きたい”、ただそれだけで変われる。 “完璧”じゃなくても、自信は取り戻せるということ。
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