2018.3.23

「行動に一貫性がない」と指摘する面接官の7割は政治家である

京都大学 インターン

斉藤 貴幸


こんにちは、未来電子の斉藤です。

 

半年前までは「自分のブログを人に見せるなんて、恥ずかしい」と思っていた僕も、最近では趣味でブログを書くようになりました。

 

今回は、自分が大事にしたい考え方がひとつできあがったので、それについて書き留めておこうと思います。

 

先日、就活中のインターン生の子と話していて、

「面接の時に、行動に一貫性がないですね、って指摘されるんです」

という相談を受けました。

 

家に帰ってそのことを考えてみると、

「面接官の7割は政治家なのかもしれない」

という結論に至りました。

そう思った理由を解説していきたいと思います。

 

もし良かったら読んでください。

 

学生に一貫性なんてない

 

まず、僕に限らず、ほとんどの学生が思っていることは、

「学生に一貫性なんてない」

でしょう。

 

現在の日本の教育制度の中で、一貫性を養う教育を受けた覚えはありませんし、むしろ「学生のうちは、色々やっとけ」って言われませんでしたっけ。

そもそも、そんなに一貫性が大事なのかも謎です。

 

そしてこのような面接を受けたほとんどの学生は面接官に対して、「じゃあ、あなたの学生時代に一貫性はあったんですか?」と思うことでしょう。

 

それでは、なぜ面接官の方からはこのような質問が出てきてしまうのか。

 

僕は、3パターンの理由があると思います。

3パターンの人数比はこんな感じのイメージです。

 

 

パターン1 : ほぼいない(0.1%)

パターン2 : 3割ぐらい

パターン3 : 7割ぐらい

 

3パターンそれぞれ解説しますね!

 

パターン1:本当にすごい人(0.1%)

 

ひとつ目のパターンとしては、その面接官が「本当にすごい人」だというケースです。

つまり、学生の頃から何かしらの信念があって、本当に一貫した行動をとってきた方です。

 

この方たちが、「行動に一貫性がないですね」という指摘をするのは、全く問題ないと思います。

自分の言動に説得力があるので。

 

ただ、このパターンに当てはまる人は、実際のところ中々いないんじゃないかと思っています。

それでは他にどんなパターンがあるのでしょうか。

 

パターン2:楽をしたい人(30%)

 

2つ目のパターンとしては、「楽をしたい」というケースです。

 

面接って、何かしら論理の破綻を見抜いて、指摘して、それに対する受け答え、対応力を見たいわけじゃないですか。

 

面接で喋っている学生側は、言葉を発するのに必死なわけですが、黙って聞いてる面接官からすると、話の軸がズレてきたら意外と簡単にわかっちゃうんですね。

 

だからこそ「一貫性がない」って突っ込んでみて学生の反応を見るのは、楽に相手の能力を判断する手段なんですね。

 

これがパターン2、楽をしたい人です。

 

真理の錯誤効果

 

続いてパターン3の面接官を紹介したいところですが、少し心理学の話をさせてください。

 

真理の錯誤効果をご存知ですか?

 

「同じことを何度も繰り返し聞いていると、嘘の情報でも真実と勘違いしてしまう」

という脳の現象のことです。

 

この真理の錯誤効果を頻繁に利用している人は誰か?

 

政治家です。

 

トランプ大統領を始めとした政治家の方々は、この真理の錯誤効果を巧みに利用し、民衆をコントロールしていると言われています。

 

パターン3:政治家(70%)

 

心理学の話が終わったところで、面接官の話に戻りたいと思います。

 

パターン3の面接官は、「政治家」と言えるかもしれません。

 

なぜなら、真理の錯誤効果を巧みに利用しているからです。

ごめんなさい、表現が間違えています。

 

真理の錯誤に犯されていると言った方が正確です。

 

これは、「もし自分が面接官になったとしたら」と想像してみた時に思いついたことです。

 

社会人になり面接官になると、「そういや自分のこれまでの人生ってどうだったっけ」と考えると思います。

おそらくほとんどの人は、人生でやってきたことに一貫性なんて無いので、その事実に絶望することでしょう。

 

ただし、自分の人生のピースの中で、都合の良い部分だけ抜き取って繋げることもできます。

 

自分には○○という一貫性があると仮定して、それを証明できるピースを取捨選択して繋げるのです。

そうやって繋げたピースをエピソードとして話すと、それっぽいストーリーになります。

 

 

僕の人生で例えて見ますね。

 

 

”僕の人生には、「全ての行動を自分自身の意思決定によって決めてきた」という一貫性があります。

なぜなら、京都大学を受験したのも自分自身の意思決定、大学院辞めたのも自分自身の意思決定、就職先決めたのも。。。

これらの経験を踏まえると、僕の人生には一貫性があります。”

 

 

 

なんとか、それっぽいストーリーができました。

自分には、「全ての行動を自分自身の意思決定によって決めてきた」という一貫性があると仮定して、それを証明できるエピソードだけを抽出して並べれば、確かに一貫性がありそうです。

ただし、そのじつ、大学院に進学したのは「友達が行くから」という理由でしたし、小・中学生の時に簿記とか宅建とかを取得したのも、完全に親からのリクエストで受動的に行動した結果です。

 

こんな僕でも、話の持って行き方次第では、まるで自主性の塊みたいな一貫性をアピールできるわけです。

 

要するに、一貫性を語ることは、簡単と言えば簡単ということです。

 

 

 

もちろんこの時点では、その面接官も罪悪感に苛まれながら、学生にストーリーを語るでしょう。

 

ここで恐ろしいのは、真理の錯誤効果が働いてしまった時です。

 

自分のストーリーを繰り返し学生に話している内に、真理の錯誤が起こり、どんどんそれが真実かのように錯覚します。

 

もちろん嘘のエピソードを言っているわけではありません。

おそらく実際に体験したエピソードでしょう。

 

ただやはり重要なのは、「一貫性があるかどうかは別問題」ということです。

 

そのストーリーが、一貫性を証明するために選び抜かれたピースの組み合わせであり、かつそれがあたかも真実かのように認識してしまった時、「学生に一貫性を強要する」という恐ろしいことが起こるのです。

 

こうなると、学生側からすると悲惨です。

人生に一貫性なんて無いのに、面接では一貫性の説明を強要されます。

「面接官である自分の人生には一貫性がある」という自信付きで。

 

キツイですね。

 

後付けで一貫性を持たせたストーリーを、自分の脳みそに対して繰り返し発信することで、それがあたかも真実のストーリーのように錯覚してしまう。

そして、「学生も当然、行動に一貫性があるだろう」と考えてしまう。

「真理の錯誤効果」という観点で見た時に、面接官の7割はある意味政治家である、という考えに至りました。

 

終わりに

 

若造が調子に乗って生意気なことを書いてしまいました。

 

本当にこれが事実なのかはもちろんわかりません。

 

ただこれから学生と多く関わる身として、政治家タイプの面接官にはなりたくないと感じました。

例のインターン生の子と話した時に、改めて思ったこと。

 

人生に一貫性はない。

 

この感覚を忘れないようにしたいです。

 


この記事を書いた人

京都大学インターン

斉藤 貴幸