こんにちは!みなさん、はじめまして(お久しぶりです)!
未来電子テクノロジーの窪田です。
いきなりですが、私は最近悩んでいます。
就活で自分を見つめる機会に出会って、将来を考えると色々悩むんです。
悩みを的確に言語化してくれる翻訳家がいたらいいのにとつくづく思います。
頑張って私なりに言語化してみると、
私の悩みは「何かのプロになりたい」ということでした。
今回は、何かのプロになりたいという心境の原因と、この悩みの対処法を紹介していきたいと思います。その気持ちわかる!と共感してくれた嬉しいです!
「何かのプロになりたい」心境とは
「何かのプロになりたい」
という心境は、元を辿れば、
何かで一番になりたい
誰かに認められたい
誰かに必要とされたい
という承認欲求と同義のように思います。
誰かに必要とされることで自分の居場所を見つけることができると思っているため、何かのプロになりたいと懇願するのです。
自分の居場所を求める理由3つ
自分の居場所を求める理由は主に3つあります。
1つ目は、自分に自信がないから。
自信の欠如には過去の生い立ちが大きく影響している可能性があります。
例えば、人に評価はされてきたが、ありのままの自分を認められた経験がない場合です。
具体的にいうと、「テストでクラスで1番になった」ことを「すごい」と評価はされてきたが、「私」という存在を認められたのではなく、「良い結果」が評価されただけということです。
この評価は自分への自信につながらず、逆に「テストで1番にならない」ことへの恐怖心になってしまいます。そして、「テストで1番にならなかった」ときに、自己嫌悪に陥って、自信をさらに失ってしまうのです。
2つ目は、実績がないからです。
自分に自信があっても、実績が伴っていなければただの「ナルシスト」です。
自分の過去を振り返ったときに、自分に実績が伴っていないと気づいたとき、人は自分の居場所を求めるのです。
例えば、私の場合
小さいときから
運動ができない わけではない。
勉強ができない わけでもない。
可愛くない わけでもない。
友達がいない わけでもない。
恋愛経験がない わけでもない。
むしろどちらかというと平均以上にはいるタイプだと思っていました。
でも、社会に出るにあたって全てが平均並みの人なんて必要とされないことに気づきます。オールマイティでは、周りの人が何かに悩んでいるときにその何かで助けることができません。仕事で、「ここで困ってるんだけど」と相談されても、浅い解答しかできません。
この事実に気づいたとき、「自分の居場所が欲しい、何かのプロになりたい」という心境になるのです。
最後に、自分で自分を認められないのも居場所を求める理由の一つです。
自分で自分を認めることはとても難しいと感じる人も多いことでしょう。
それは自分から自分への評価の価値が、周囲から自分への評価の価値より低くなっているからです。
「自分の評価<周囲の評価」
確かに人からの評価は嬉しいものです。
先ほども言ったように自信に結びつけるためには他者に認められる必要があります。でも、その認められているという事実を自分が認めなければ、不安は消えないんですよね。
何かのプロになりたい心理の対処法
何かのプロになりたいと感じる不安の要因を3つ紹介しました。
- 自信がない
- 実績がない
- 自分で自分が認められない
これらの一つでも当てはまるのであれば、以下を引き続きお読みください!
これら3つの心理を解決するために人は何かのプロになろうとします。
自分の居場所を探そうとします。
周りに必要とされようとします。
では、何のプロになるのでしょうか?
自分でその“何か”を見つけることはできますか?
これが私のぶつかった悩みの壁です。
“何か”が見つかっていたらそこを突きつめてプロになる努力をしたらいいのです。
しかし、私には私の強みが分からない。
なんのプロになったらいいのかが分からないのです。
あれ?そもそも目標って“何か”を探すことでしたっけ?
・・・
実はここを勘違いしている人が多いのですが、自分の居場所を見つける方法は“何か”を探すことでは解決されないのです。
『 』のプロになることが目標。
『 』はなんでもいいんです。
重要なのは「プロになること」の方。
だったら、『今やってること』『自分が好きなこと』を極めたらいいのではないでしょうか?
そもそもプロって?
そもそもプロってどうやってなるのでしょうか。
例えば漫画家の場合。
そもそも絵を書くことが好きで、漫画を読むことが好きで、勉強して実力をつけて書くという行為を継続してきた人がいたとします。その人は自分で作品をコンテストに応募したことによって周りの人に評価されました。
「絵が上手だわ」
「作風がうちに合っている」
と認められました。
そして、自分がやってきたことってこんなに評価されるものだったんだ、と気づいたときはじめて「プロ」になります。
今人気の『ちはやふる』の作者、末次由紀さんもこれと似たプロへの道を辿っています。
つまり、「自分の意志で行動して」→「認められて」→「一番になり」→「自分でその事実を認める」という経験が人をプロにするのです。
私の心境の変化
自分にはなにもない。
自信も実績もなにもない。
不安でしかない。
何かで人に必要とされるプロになりたい。
そう思って『 』を探し回っていました。
『 』にこだわりなんて何もなかったのにね。笑
ある日、尊敬している先輩にこの心境を相談したときに、こう言われました。
「不安なんてみんな持っているよ。自分の仕事に100%満足したことなんてない。
ただ、周りが僕をプロとして扱ってくれる。この分野では一番だから、といって居場所をくれる。だからそこが自分の居場所だと認識できたし、プロとしての意識も芽生えた。」
(私の解釈込みなので、間違っていたらすみません。笑)
少しだけ胸が軽くなりました。
私が心から尊敬している先輩、プロとしてみんなに頼られている人でさえ、不安は抱えているのです。
ただがむしゃらに当時目の前にあったことに取り組み、人の目に触れ、認められ、自信になり、自分を認めることができ、プロとしての居場所を見つけた。そういうことです。
先ほども言いましたが、「何かのプロになりたい」という欲求が芽生えたとき、みんなその何かを見つけようともがくのです。自分には何ができるのか、何が一番なのか、何が強みなのか、必死に考えて考えて、何もないという結論に一人でたどり着いて、勝手にネガティブになっていく。
でも本当は、“何か”は自分で探して見つける居場所なんかじゃなくて、今やっていることの中で周りが気づかせてくれるものなのです。
今与えられている仕事、今悩みを相談してくれている友達、今付き合っている恋人、今あなたと付き合いのある人との関係の中に何かしらのヒントが必ず隠れています。みんなあたながいいからあなたといる。その時点で周りの人の中ではあなたが一番なのです。
あとはあなたがそれに気づくだけ。
私も今、それに気づこうと必死です。
周りがいくら褒めてくれようが、「君がいい」と言ってくれようが、
それがなぜなのかは自分で気づかない限り何かのプロになったという意識が生まれません。
今やっていることで実績をつくり、認められて自信になり、そこが自分の居場所なんだと気づくときがくる。そこでやっとプロとして戦う土俵にのる。
そうしたら、その新たな土俵の中の自分がちっぽけに感じ、また不安に襲われ努力をする。
先日オードリー・ヘプバーンの展示会に行ってきました。
彼女はこんなことを言っています。
「どんな人でも、
不安がきれいに消えるということは
ないと思うの。
成功すればするほど、
自信は揺らぐものだと思うこともある。」
自信と不安は繰り返されるのでしょうか。
こうやって自信と不安を繰り返して、人は成長していくのでしょうか。
『 』のプロになろうともがいて努力している自分が、いつか自分の居場所を見つける瞬間を想像するとワクワクしてきました!
最後に
自分に自信がない人
実績がなくて不安な人
自分なんてと思っている人
いつか自分の居場所に気づける瞬間のために今、目の前のことに全力で取り組んでみてはいかがでしょうか。そして、人とのコミュニケーションを増やして取り組みを認めてもらう機会を増やしてみてはいかがでしょうか。その先に、自分で自分を認めることで、あなたは『 』のプロになれるはずです。
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