はじめまして。
未来電子でインターンをしております、山本と申します。
学生と社会人の間には大きな隔たりがあります。その隔たりは何が要因となって生じているのでしょうか。学生視点で書いてみました。
答えのない問題とのぶつかり
僕らが生まれてから高校を卒業するまでの問いというのは「答え」のある問いだとよく言われます。確かに1+1=2だし、世界で一番高い山はエベレストです。そこには必ず答えが容易されていて、僕らは確実に宝が眠っている山から宝を探し出すだけの作業でした。時には宝が眠る山を効率的に攻略する方法や宝の地図を駆使しながら、確実に眠っている宝を探していました。これが「答え」のある問題というものです。
大学に入ってもこの傾向は変わりません。僕が所属している商学部で出される問題はどれもある問いに対してある明確な答えを書かせるような問題が多いように感じました。それはAという単語を覚え、Aという形で再出力しているにすぎません。
しかし、ある日大学生活で初めて「答えのない問題」にぶつかります。僕が大学2年に上がりたての頃、サークルはちょうど新歓時期で、サークルで総務統括という役職についていた僕は当然のように例年行われている新歓活動に従事しました。ここでいう「答え」とは思い描く結果を得ること、つまり新入生が入るという状況でしょう。当然のように思い描く新歓を実行し、結果はとても成功とはいえるものではありませんでした。昨年度よりも新入生が減少し、ここで初めて新歓を振り返ってみました。そこにはいくつも「新入生に入ってもらうためには何をすればいいか」を考えた軌跡があり、それを実行していました。しかし、それが結果に結びついているわけではありませんでした。つまり、答えがでなかったのです。
「考える」ということ
最近「考える力を鍛えよう」とか、「考えるメソッド」とか、「考える」という言葉をよく耳にする気がします。ここでいう「考える」とは一体何なんでしょうか。例えば世界一高い山の名前という問いに対して、記憶を掘り起こし、エベレストという回答を紡ぎだす行為のことを指すのでしょうか。僕は違うと思います。「考える」とは答えのない問題に挑戦することを指すと思います。新歓で新入生を大量に入れるためにはどうすればいいかを検討することです。コンビニの店舗の売上を2倍にする方法を検討することです。こういったことが「考える」ということだと思います。
学生のうちから「考える」ことが大切
社会に出れば「新製品をどのように売っていけばいいか」、「どうすればコストを削減できるか」といった答えのない問いにぶつかり続けることになります。答えのある問いにしか挑戦してこなかった学生はこの問題に立ち向かうことができるのでしょうか。
学生のうちから「答えのない問い」に挑むことは非常に有意義なものだと思います。それは生活の至る所にちりばめられています。私たちが今手にしているこのボールペンは一体どういった目的で販売されているのだろう。またこの商品をさらに売上を伸ばすためにはどのような方法があるか。といった問いを自分にたて、検討することは可能です。ただ自身の立てた仮説を検証する術はありません。
しかしこのミラターンであれば自分の「考える」結果を実際に実感を伴う数字という形で味わうことができます。A社の売上を増加させるためにはZという手法が適切だと思ったが、効果はいまひとつであったというのがすぐさまわかるのがビジネスです。こうしたビジネスを学生のころから体験できるのはとても貴重な体験のように思います。
※ミラターン:未来電子でインターン生がコンテンツマーケティングを使ってオウンドメディアを運営
まとめ
社会に出ればそこは「答えのない問い」の大海原です。僕らはそんな海になにも身につけないまま飛び込めるほど盲目ではいられません。よく見えるようにゴーグルをつけて、息ができるようにシュノーケルをつけてから飛び込みたいですよね。ゴーグルは思考法、シュノーケルは考える力です。自分の力で泳ぐために。
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