2019.4.24

人生に必要なことは全てSEKIROが教えてくれる

京都産業大学 インターン

小笠原健登


「狼よ、我が血と共に生きてくれ……」

 

はじめましての方、はじめまして。

 

そうでもない方も、はじめまして。

 

未来電子テクノロジーインターン生の小笠原です。

 

学びブログバトル、個人的にすっげぇワクワクしますし、すっげぇドキドキします。

 

今回、ばちこり自分を出せる機会を与えられたので、ガチホコ自分を出していきたいと思います。

 

このブログは、僕が「SEKIRO」というゲームを通じて得た学びを興奮気味に語るものですので、ダメな方はブラウザバックを推奨します。

 

それでは、参ります。

 

□「SEKIRO -Shadows Die Twice」

 

「隻腕の狼、戦国に忍ぶ」

今回のブログの主題となるゲーム、「SEKIRO」。

 

2019年、フロムソフトウェア渾身の作品です、え、知らない?そんなー。

 

即予約し、PS4も抱き合わせでamazonでポチりました。

 

運命の日(発売日)3月22日、バイト帰りに半ばスキップ気味に帰宅して配達員が来るのを今か今かと待ち続けました。

 

amazonロゴ入りのダンボールパッケージが届き、最初に目に入るのは事前予約限定版のパッケージに闇を背景に映るこのゲームの主人公、「狼」。

 

シブい、シブすぎる。ゲームコーナーにキラキラしたパッケージが目移りするほど大量にある中で、異色を放つパッケージ。

 

「さすがだフロム、ブレない」

 

様々な思いが駆けめぐる中、パッケージを開けてPS4に挿入し、プレイを開始しました。

 

「今回のソウルはどんなものかな、まあシリーズ経験者だし余裕でサクッとチュートリアルのボスを倒してやろう」

 

と、画面に映る毎度素晴らしいクオリティのオープニングムービーと菅生隆之氏の染み渡るようなナレーションを堪能し、主人公が目覚め、御子の元へ……。

 

ここまでは良かったんです、ここまでは。

 

調子に乗って経験者ぶってチュートリアルをクリアしようと意気込んでいた、ここまでは。

 

主人公である「狼」を動かし、1時間が経過すると僕はすっかり心折れてしまっていました。

 

難しすぎる。

 

チュートリアルのボス「葦名弦一郎」に瞬殺されるのはもちろん、道中出会う雑魚敵や中ボスですらロクに倒せず画面中央にデカデカと映る「死」を何百回見たことか。

 

理不尽極まりない。

 

僕が期待していたものと何かが違う。

 

「このゲームは、つまらない」

 

そう決めつけて、しまっていました。

 

□「現実」という名のボス

 

「つまらない」と思いつつも、ゲームはエンディングまで進めなければ気が済まない性格に従い、死と回生を重ねていた時です。

 

唐突に、その瞬間は訪れました。

 

このゲーム、「ステルスアクションゲーム」でなおかつ「主人公は忍者」です。

 

何も、真正面から突撃して自分より遥かに強いボスと剣戟を繰り広げなくても良いわけです。

 

主人公の左腕の「忍義手」に仕込まれている鉤縄で、ステージを縦横無尽に移動可能ですから。

 

鉤縄で屋根の上に移動し、ボスの頭上にこっそり忍び寄り、頭上から落下攻撃を決めて戦いの最初からボスの体力を削る、といったことも可能なのです。

 

「忍義手」に仕込まれている「義手忍具」を駆使して、「手裏剣」でチマチマといやらしく体力を削ったり、油をぶっかけて「火吹き筒」で「炎上」状態にしたり……。

 

そういったあらゆる手段を使えることに気づいた瞬間、このゲームの「つまらない」は「面白い」に反転しました。

 

比喩ではなく、本当に反転しました。

 

惰性でやり続けていたものが、たった一つの「気づき」によって一気に「面白さ」へと変わりました。

 

手強く理不尽なボスに、どう立ち向かうか。

 

一旦立ち止まり、「こういう手段で立ち向かえないだろうか」「あそこの屋根に登れないだろうか」「背後から近づけるだろうか」といったことを考え、トライし、ダメだった場合は別の手段でトライする。

 

僕のシリーズ経験者という「慢心」を捨て、一から「学習」をする姿勢に変えた瞬間、その「気づき」は訪れました。

 

同時にその「気づき」を得た瞬間、現在の僕の目前に相対する「問題」に対しても、この姿勢は使えることに「気づき」ました。

 

現実には手強く理不尽な難易度の「問題」が存在します。

 

ポイントは「問題」に対して、バカ正直に突撃するのではなく、「裏技」を考えてみること。

 

他の突破口を考えるだけで、それだけ選択肢は広がり、挑戦の機会やモチベーションにも繋がります。

 

それはそのまま人生を生き抜く上で、とても役立つ考え方という「忍具」です。

 

人生がつまらなければ、面白い「ゲーム」として見れば良いのです。

 

クソゲーが一転して神ゲーになります。

 

僕は「SEKIRO」で得た経験を通じて、「現実」で出くわす理不尽な難易度の「ボス」に対する姿勢を学び取りました。

 

□最後に

自分のアタマの中を走査し、解析した結果、やっぱりゲームしかないなと思われます。

 

学びブログと呼称しながら、傑作「SEKIRO -Shadows Die Twice」に関する感想を書き散らかした、そういう文章です。

 

ですが、僕が「SEKIRO」を通じて得た学びは、何物にも代え難く、確実に心に刻み込まれました。

 

この記事を読んでくださった方が、「SEKIRO」に挑戦し、その難易度に絶望し、奮い立ち、確かな

手応えを持つことを非常に楽しみにしています。


この記事を書いた人

京都産業大学インターン

小笠原健登