こんにちは!
現在、立命館アジア太平洋大学を休学している、The元気人間の長友真於(Maomao Mao)です。
秋といえば、食欲の秋、読書の秋、運動の秋、、、「芸術の秋!!!!」
と言うことで、今回はアートについての記事をまとめることにしました。
私がアートを好きな理由は、先日していただいたインタビュー記事からどうぞ!
https://www.miraidenshi-tech.jp/intern/26999/
みなさん、アートといえば絵を思い浮かべるのではないでしょうか?
いやいや、今年の秋はちょっぴりテイストを変えて、ことばアートの世界をご紹介します。
ことばアートの世界
今回「ことば」にフォーカスを当てた理由
文字のアートを紹介する前に、私がブログを書いている背景をかかせてください!
先月、人と関わるのが怖くてマネージャーを断ったんです。
しかし、今月は、自分と向き合うために、京都でマネージャーをさせていただきました。
いざやってみると、苦戦しかない。
心おれそう…と思った時に、ある方のあることばに出会ったんです。
ことばって、魔法みたいで、人を傷つけたりもできるし、人を変えたりだって出来ちゃいますよね。
しかも、自分がおかれている状況によって、感じ方も違ってくる。
そんなことばにどハマりしちゃいました。
おすすめしたいことばアートとは
—本当に生きた日—
今回おすすめしたいことばです。
茨木のり子さんによる詩の中に出てくることばでもあります。
以下、茨木のり子さんの詩です。
「ぎらりと光るダイヤのような日」
短い生涯 とてもとても短い生涯 六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう コックはパイをどれ位焼くのだろう 教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
子供たちは地球の住人になるために 文法や算数や魚の生態なんかを しこたまつめこまれる
それから品種の改良や りふじんな権力との闘いや 不正な裁判の攻撃や 泣きたいような雑用や ばかな戦争の後始末をして 研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると 考えたりもっと違った自分になりたい 欲望などはもはや贅沢品になってしまう
世界に別れを告げる日に ひとは一生をふりかえって じぶんが本当に生きた日が あまりにすくなかったことに驚くだろう
指折り数えるほどしかない その日々の中の一つには 恋人との最初の一瞥の するどい閃光などもまじっているだろう
「本当に生きた日」は人によって たしかに違う ぎらりと光るダイヤのような日は 銃殺の朝であったり アトリエの夜であったり 果樹園のまひるであったり 未明のスクラムであったりするのだ |
私はこの詩をみて、ぎくっとしました。
「本当に生きた日」ってなんだろう?と思いませんか。
アートの良さは、感じ方が自由なところにあります。
今、何か行動にしようか迷っている人、行動はしているけどなんか立ち止まっている人。
何かきっかけになるかもしれません。
さいごに
以上、ことばの観点からアートを紹介しました。
普段忙しいという方も、アートに触れてみることで少し普段が違って見えるかもしれません。
アートに触れたい!という方がいらっしゃいましたら是非連絡してください!
知らない方でも大歓迎です。