2020.2.1

人の心をどれだけ動かしたか

同志社大学 インターン

田川裕隆


同志社大学社会学部1回の田川裕隆です。

未来電子には大学の入学式の少し前からいました。

プログラミングの実務に入ってからはあまり出社していないので僕のことを知っている方は少ないと思いますが、1月末で卒業するにあたり何か書こうと思います。

未来電子で得たものは多いですが、人の心をどれだけ動かしたかが重要ではないか、と今日少し考えて思ったのでそれを書こうと思います。

 

浪人時代の実験

 

大学の入学式の少し前からインターンを始めたのは、大学に落ちたからです。

大学に落ちて命の危険を感じた(大げさではない)僕は、すがるようにプログラミングブームに乗っかりました。

落ちたことをチャラにする何かを求めるのに必死だった(今もそう)ので、春休み、寝食も忘れてプログラミングの勉強をしました。

1人ではきつかったのでプログラミングができる場所をいろいろ調べた結果、未来電子に出会いました。

前置きが長くなりましたが、浪人時代、僕はある実験をしました。

自分が行きたかった大学に受かりやがった奴、大学生活を謳歌している奴、自分を落としやがった大学、意味のなかった授業、意味のなかった努力、毎日座りっぱなしの生活、遊ぶ気力も起きない空虚感、一瞬でもさぼったら襲ってくる自己嫌悪、成績の伸びない焦り、などに苦しめられていました。

耐えきれなく疲れた僕は、人と関わらない選択をとりました。

人と関わらないことが悪いことだと思った僕は、これは浪人時代にしかできない、人と関わらずに生活できるか、の実験だと自分に称しました。

丸1日他人と会話をせず、入っていたlineのグループからもすべて抜け、必要最低限の言葉しか発さない生活を続けました。

すると、ある変化が起こりました。

他人に全く関心がなくなり、自己に没頭し始めたのです。

脳内で妬んでいた、自分が行きたかった大学に受かりやがった奴、大学生活を謳歌している奴、過去の追想などは意識から消え去りました。

勉強しかすることがなくなったので、勉強が好きとか嫌いとかだるいとか、遊びたいとかさぼるとかいう概念がなくなり、勉強が人生の目的となりました。

すると良いことに成績が飛躍的に伸び、全国で一桁の成績を何度も取り有能感に浸りました。

反対に、悪いこともありました。

自分の存在意義について考える時間が増えると同時に、虚無を感じる時間が増えました。

それから逃げるように勉強を続け、自分の存在意義を、京大生になっている自分に託しました。

この難関をくぐり抜けたら自分は偉い人間になる、そして一生続く確固とした存在意義を手に入れられると思っていました。

何でもって偉い人間になるのか、そこまでは思考の範囲外でした。

こうした異常な精神状態が続いた挙句、大学には落ちました。

大学合格に、自分の存在意義まで託していた僕は、全てを失いました。

 

未来電子での体験

 

未来電子にはいってしばらくの間は、浪人時代と同じような日々が続きました。

あまり人と話さず、プログラミングの勉強ばかりしていました。

プログラミングの勉強が自分にハマっていたのが幸いでした。

僕は、自分の存在意義を、大学合格からエンジニアとしての自分にすり替えました。

しかし、思考には変化がありました。

今、勉強が人生の目的になってしまっている。

今、得ようとしている存在意義は、前みたいにまた失ってしまうのではないか。

勉強に没頭しながらも、こういった考えがありました。

かといって他にすることもなく、勉強を続けました。

未来電子に入って4ヶ月目くらいの時に、マネージャーになる機会がありました。

何を学んだかは残念ながら本題ではないし長くなるので割愛しますが、結果的に人と関わることを知りました。

この体験が自分の中で一番大きかったといっても過言ではありません。

 

考察

 

浪人時代の実験で実証されたことは、人と関わらなければストレスなく能力が伸びるが、内容の伴わない間違った方向に存在意義を求めだすということでした。

未来電子での体験では、正直ストレスがかかる場面も多々ありましたが、人と関わることを知りました。

最後にまとめておきたいのは、内容の伴った正しい方向の存在意義とは何かということです。

正しさの定義は人それぞれ異なり、それを気にすると何も言えなくなりますが、人の心をどれだけ動かしたか、に帰結すると僕は思います。

人と関わらず、能力だけを伸ばしていても、人の心は全く動かせません。

人と関わらず、能力を伸ばす時間は必要で、それにより有能感を得るのは自分の自信にも繋がり有用ですが、それで終わってしまうと存在意義を見失います。

人の心を動かすことにより得る存在意義は、地位、能力、手段、時間によらず残り続けるものだと思っています。

能力を伸ばした先に何があるのか、それは人の心を動かすのか、を常に考えて努力を続ける必要性があります。

こんなことは、みんな分かりきっているかもしれませんが、僕は見失っていました。

人の心がどう動いたら良いのかまでは、まだ考え切れていません。

未来電子で得た能力の一つに、きちんとした文章を書くという能力があります。

その能力を活かして、今、(お金も出ないのに)こんな長文を書いています。

提出期限が過ぎていて、書いても書かなくてもどっちでもいい文章だと捉えていますが、自戒もこめて、人の心をどれだけ動かしたかが重要ではないか、と今日少し考えたので少し力んで書きました。

 


この記事を書いた人

同志社大学インターン

田川裕隆