「これからの時代は、何かしらのオタクになれる人が強い」
これは筆者が思い続けていることである。
しかし、渇望しているにも関わらずなかなか手に入らない素質である。
そこで、私がなぜ、オタクになりたいと思うようになったのかについて過去の話を交えながら書いてみようと思います。
少しだけ筆者の話
私は0歳9ヶ月の頃から水泳を始めた。いわゆる「ベビースイミング」である。
この頃は母と一緒に入っていたが、2歳の頃には年上の子達に紛れて1人でプールに入っていたし、4歳の時からは公式戦にも参加した。
その初の公式戦の時は2000年問題に引っ掛かり、4歳なのに104歳として試合に参加し、100歳以上の部門で1人優勝だった。
他にも、2歳からバトン、4歳の時から器械体操、6歳からはピアノや書道を始めた。
いずれの習い事も10年以上続けたものが多く、平日は学校が終わると宿題が終われば習い事で、はしごする日もあった。
選手として活動していたので、シーズンは毎週試合。
公式戦ではメダルや盾にトロフィーなどはたくさんもらったし、代表に選ばれることもあり、その度にとても嬉しかった。
しかし、今ここでこの文章を書いていることからわかるように、
私は、どの道のプロでもない。
なれなかったのだ。
0歳の時に始めた水泳で、11歳の頃に大きな壁にぶつかった。
年上と同じ区分に入ることが増え、泳ぐたびに負ける。
決勝の常連だった自分の名前が、そこにはない。
なによりもそれが屈辱だった。
そして、結果を出せない自分が嫌になり水泳をやめた。
負けず嫌いで、何においても負けることが嫌いだった私が、自分に負けたのである。
それからは、習い事と無関係な場所で肘を複雑骨折、完治はしないと言われその他の競技からも離脱。
っとまあこれがこの記事を書いている筆者のこれまでの人生のほんの一部です。
長く書きすぎました、、が。
これからが本題です。
ここまででやめちゃうとただの挫折した人の話になるのでよければそのままお進みください。
なんでもできるはなんにもできない
結局、水泳には3年の冷却期間をおいて戻りました。
でも12年続けていた事実なんて、ただの過去でしかありませんでした。
幼い頃から切磋琢磨していた友人らと久しぶりに会うと、プロになっていたり、世界大会で結果を残している人も多く。
その様子を見ると、技術力はもちろんですが、それ以上にその競技が“好き”という気持ちが桁違いでした。
みんな、それぞれその道のオタクだったのです。
自分があれこれやっている間にも、「これだ」と思うものを決めて、時間をかけて戦っていたんだということに気付かされました。
まさに、好きこそものの上手なれ。
昔の人はうまいこと言ったもんですね。
いや、うますぎん???
これぞ真理ですね。
彼らには
「どれだけ迷っても自分で決断すること」
「オタクを名乗れるくらい好きになれることを持つこと」
この2つが共通していました。
これからの時代は、さらに新しい形の働き方が生まれ、個の力を発揮できる場所も増えていくと言われています。
色々な戦い方や生き方があるこの世界で、変化の波の中で、私たちは生きて行かなければなりません。
私は、そんな世界を生き抜けるのか。
そんな不安が付き纏います。
筆者は、一つのことを極めきれなかった自分のことを、全て中途半端な人間だと考えていました。
「得意なことは?」と聞かれても、どの道のプロではないからと自分の得意なことを話せませんでした。
「なんでもできるはなんにもできない」コンプレックスと勝手に呼んでいます。
これからも、筆者はしばらくこのコンプレックスを引きずるかもしれません。
ですが、頑張ることと、結果は決してイコールではありません。
頑張っても結果がでないこともあれば、頑張ったつもりがなくても結果がでることもある。
そこで肝心なのは、その結果から次に進むには、過去を自分の中で消化(昇華)する必要があるということです。
その段階で、結果を追い求めすぎた筆者のように拗らせないためには、
「どれだけ迷っても自分で決断すること(決断力)
と
「オタクを名乗れるくらい好きになれることを持つこと」(オタク力)
が大切なのかもしれません。
まとめ
この記事を読み終えて、共感できた!という人もいれば、全然共感できなかったという人、わかりそう!だけどわからないという人など様々な人がいるでしょう。
そして、自分にはこれだ!という、◯◯オタクと言えるような思えるものを持っている人も、まだないよ、という人もいるでしょう。
過去の経験に、自分がオタクになれるものが見つかれば、それは素敵なことです。
しかし、見つからないという場合は、これから見つければ良いだけです。
焦らず、弛まず、怠らず。