こんにちは!
人事の中津です。
本日は孫氏について勉強しました。
『孫子』
今から約2500年前と言う大昔に書かれたのにも関わらず、現代でも絶大な影響力を誇る古典がある。
それが『孫子』である。
ソフトバンクの創業者・孫正義社長、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ、日本の著名な経営コンサルタント大前研一、スポーツ界に目を向ければ2002年開催のW杯サッカーでブラジルを優勝に導いたルイス・フェリペ・スコラーリ監督など様々な経営者、勝負師に影響を当て続けている古典である。
『孫子』は、日本でいえば縄文時代と弥生時代の移行期に書かれたと言われいる。
当たり前だが、現代とは時代も違うし、時代背景も違う。
現代のビジネスや人の生き方に応用するにしても、前提条件が全く違う。
つまり、『孫子』を自分にとっての知恵として呼吸するためには
「簡単に言い直せばどうなるのか」
「より一般的に表現するとどうなるのか」
と言ったように、まず抽象度をあげて考えなければならない。
百戦百勝は善の善なるものに非ず。
百戦百勝は善の善なるものに非ず。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり
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百回戦って百回勝ったとしてもそれは最善の策とは言えない。
戦わないで敵を屈服させることこそが最善の策なのだ。
百戦百勝といえば、いかにも素晴らしい結果のように聞こえる。
なぜそれが最善ではないのか。
先ほどの状況認識をみれば、百回勝っているうちに、自分や組織の体力・経営資源をボロボロにし、百一回目に漁夫の利をさらわれては愚の骨頂だからだ。
このような局面では「いかに戦うか」ではなく、「いかに自分が漁夫の利をさらう側に回るか」が戦略の一つの眼目ともなる。
「負けてはダメ。それどころか勝っても自分が擦り減ってはダメ」
こうした状況認識は、我々が一般的に持つ競争や闘争のイメージとは大きく異なる面を持っている。
こうなると当然「目の前の敵に勝てば良い」と言う単純な思考では対処できない。
その故に『孫子』の戦略は複雑化、高度化し、現代からみても目から鱗の落ちるような指摘が満ち溢れている。
こうした状況は現代で言えば、特にコンピューターやIT業界に極めて近い。
栄枯盛衰が激しく、一時はもてはやされても脱落した企業は数知れない。
しかもライバルは多数どころか、予想もしない勢力が突如として殴り込んくることもしばしばである。
抽象度を操作すれば、二つは前提を共有するが故に、「では、どうしたら良いのか」と言う対策のも活用しやすい。
最後に
さらに、同じことはいまわれわれが直面しつつあるグローバル化の状況でも顕著になっている。
組織にしろ個人にしろ、ビジネスのライバルは国内だけとは限らない。
欧米や中国、韓国、インドなどとの大競争時代になりつつある。
しかも、IT化の進展によって人ばかりではなく、コンピューターまで職を奪われると言う悩ましい事態までに進んでいる
大きな流れからいえば、我々は、今後ますます『孫子』的な状況を生きざるを得なくなっているのだ。