大手企業からの年俸900万円オファーを蹴って選んだ道

久保田 凌介

近畿大学 経営学部経営学科

ー2016年3月卒

PROFILE

未来電子にインターンシップとして大学一年生のころから参加し、大学を卒業後もフリーのプログラマーとして未来電子に貢献している。彼がインターンとして歩んできたストーリーは、多くの人に魅力的に聞こえ、破格の給料での新卒オファーなども手にするほどという。今日はそんな彼のインターンでのストーリーについて迫っていきます。

起業することが目的になってはいけない

-未来電子に来てどのくらい経ちますか?

1回生の10月ぐらいから来てましたね。もうすぐ5年になります。

-大学1回生のころから未来電子に来てていろんなことがありましたね。大学卒業まで長い道のりがあったと思いますが、そもそも大学はなぜ卒業したかったのですか?

大学…何でやろう、もともと就職する気はあんまりなくて。これいうんめっちゃ恥ずかしいですけど、高校のとき見てたドラマがあって、それに影響されてITで起業したいと思って(笑)

-大丈夫です。他の学生さん達もそれに近いことを持っていると思います。でも約5年前だと、まだ1回生から始めるインターンはそこまで一般的ではなかったですよね。

そうですね。ほんま全然何もなくて、何したらいいかもよくわかってなかったですね。普通に起業すんのに大学行かなあかんと思ってたぐらいです。

-「起業するために大学が必要だった。」と考えられていたのですね。確かに起業するための一般的な考えだと思います。それで、知り合いをきっかけに未来電子と出会い、役員の黒田の紹介で未来電子にインターンとして入社したという経緯だったのですね。

そうですね。

-初めてお会いした時「起業したい」とおっしゃっていましたね。確かその言葉に対しての私の回答が「もうその考え方をまず忘れる」ということでしたね。

はい、言われましたね。

-その回答をした理由は、起業が一番の目的になってて、根本的に何をしていくかが定まってないと感じたからなんです。まずは目の前のことを、しっかり取り組んでいくための習慣作りからやってほしいと思っていました。

責任感と義務感が伴って初めて実用的なスキルは身につく

-初めに、営業業務に取り組んでいたと思いますが、実際取り組んでみて一番困ったことは何でしたか?

そうですね、まずは時間の部分ですね。一回生やったから時間が全然取れなくて。あとはお金も当時は全然なかった。

-その当時お金がない、且つ毎日夜まで続く授業が終わってから業務に取り組むのは確かに厳しい状況ですね。未来電子としても、インターンシップの仕組み自体がまだ全然整ってない中で、まず営業から始まるということに決まってから、授業が終わってからの少ない時間の中で、できることを一歩ずつ達成してきたという感じでしたね。では、最初の久保田さんの成果は何でしたか?

僕、一発目は結構早かったんですよね。入って一ヶ月くらいで自分でアポイントを取って、その訪問時にご契約頂いたお客様がいました。でも、そのあとが地獄の期間でしたね。そこから飛び込み営業が始まったんですけど、ほんまに毎日吐きそうになってました。というかエレベーターで一回吐きました、中で。(笑)

-エレベーターの中で吐いたのですか?それくらい緊張やその他いろいろなことで追い込まれていたということだったのですね。でもその頃から、久保田さんは継続的に自分自身で追い込める、という声が社内で挙がってきていました。その時タイミングで社内でもプログラミングの勉強を始めよう、ということになり、久保田さんもプログラマー養成講座にチャレンジしたのでしたね。プログラマー養成講座の課題を取り組み始めた時はどうでした?難しかったですか?

難しかったですけど、僕はめっちゃ楽しかったですね、あれは。

-その課題が楽しめたからこそ営業業務も楽しみていた要因でもあるのですかね。その課題を通してプログラミングを挑戦していく中で何が必要だと感じましたか?

そうですね、一番でいうとその時に問題解決の力が身についたし必要な力やったなって思いますね。結構調べたら何でも落ちてるわっていう感じで、自分の手で問題解決ってできるもんなんだなって。

-本当にその通りだと思います。問題というのは、ほとんど答えがあるトラブルで止まり、その答えを自分で探していけば必ず見つかるということが大きなポイントですね。そこからステップが上がっていき、最終課題で実際に営業に取り組んでいるという経緯もあり、「営業チームで使えるツールを作る」という課題が出題されたと思いますが、その課題はどうでしたか?

やっぱり、それまでの課題はプログラミングできるようになるための試験みたいなもので、これ作れっていう課題がなかったので、そこの難しさが一番ありましたね。営業チームで使うっていうことで期限も決められてましたし。

-でもそれが一番現実に近い形なんですよね。仕事でプログラミングをすることと個人で学習することは全く違うものです。個人の学習だと責任感、義務感、それらが決定的に欠如しているので、なかなか身に付きません。これが動かなかったら何の意味もないツールになってしまうっていう責任と、いつまでに作らないといけないって義務、それが定まって初めて仕事としてプログラミングを動かしていくスキルが手に入ります。実際私も思いますが、久保田さんは営業チームのツールを作成した後、ほとんど何でも作れるような気になったと思います。

そうですね、本当あれがきっかけで、プログラミングできるって言えるようになりました。

ストーリーが人の心を惹きつける

-丁度その久保田さんがツールを作成したくらいのタイミングに、社内のシステムを担当していた人が抜けるという話になり、役員の中で話し合ったことを思い出します。「ここの位置に入れる人って誰」という話になったんです。そのタイミングで久保田さんの名前が役員全員の意見として一致し、そこから完全に営業の仕事から離脱してプログラマーに専念することになったんですよね。突然任されることになったと思いますが、任された時はどういう感情でしたか?

めちゃくちゃ嬉しかったです。もともと本来ITでやりたいっていうのがあったんで、やっとここに来た、みたいな。ここからようやく始まっていくんやなって気持ちになりましたね。

-自分のやりたいことをやるためには、とりあえず目の前のことをきっちり取り組んで、いつ声がかかってもいいように準備もしておき、その結果タイミングが来たときに、そこに入れるようにしておく。これがポイントだと思います。当然、今取り組んでいる目の前のことでも信用を得ないと次のチャンスはありません。そのようにして信用を得た人がいろんなことを任されていくという仕組みです。久保田さんの経験がその良い例の一つですね。これがきっかけでプログラマーとして仕事をステップアップしていった中で、今度はビジネスプランコンテストに久保田さんが出ることになったんですよね。

はい。代表に「自分でサービス作れるんやから出てきたらいいやん」って言われて、その頃代表もビジコンとかで出して賞もらったりしてた時期で、僕も出る流れになりましたね。

-出場することになり、まずは大阪の予選に勝ち、その次に起業家甲子園に出場したのですよね、大阪の代表として出場して、同学年くらいの大学生がチーム組んでいる中で久保田さんは一人でしたね。その状況にもかかわらず優秀賞を受賞していたのは本当にすごいことだと思います。実際あの場ですごく印象的だったことは、多くの名だたる企業が出席していて、久保田さんのプレゼンテーション後の質疑応答のときに、その大企業の方たちが、「彼に質問ある人?」と言ったら、一斉に手挙がって、最初に当てられた大企業の方が、「君のその作ったサービスどうでもいいから、うちの会社に来ないか?」と言っていたを思い出します。なぜその質問が出たのかなと考えた時に、やはりサービスを考えるということは、経験の量と、それがビジネスになるか難しい話なのかと、あの時プレゼンテーションで一番重要だった、今ここまで話してきた、このストーリーを語っていることだなと感じました。

〝起業やりたい″を忘れて営業に取り組み、システム作りに取り組み、こういう失敗をして、最後今この場に立ってるっていうストーリー。そこがものすごくキャッチーだったのだと思います。

新卒で年収900万円のオファーを断る

-それを繰り返して、多くの方がその後懇親会で久保田さんに話しかけていましたね。それでも「うち来てみないか」という誘いは全部断っていましたよね?

うち来いは、基本的に断ってました。けどそこから、どこで僕のアドレスを手に入れたか知らないですけど、めっちゃメールで連絡来るようになって、一回うちの会社来てくれとか。就活とかもする気はなかったけど、オファーめっちゃきてました。しかもずっと金髪で短パンビーサンやったりしたんでだいぶ浮いてました。たまに、いっぱい企業が集まってくるとこに呼ばれたりとかもしてたんでそことかで特に。

-そもそもやる気がないから、相手に合わすのも違いますし、でもそのスタンスが、逆に相手にとってはキャッチーだったのでしょうね。「やっぱり違うなこの人」と感じていたのだと思います。

それは言われました。こんな人来たことない的な。

-そもそもレイヤーとして高い方たちが集まっていて、さらにその中でもみんなスーツを来ているのに、「適当な人が来た。」と思われたのでしょうね。それで、最終的に一番アプローチとして強かったのが、学生からの人気が高く、起業家を多く輩出している会社、そこからのオファーが一番大きいものでしたね。新卒で年収900万円というオファーだったことを覚えています。何の仕事でのオファーだと言われたときに、久保田さんは何と答えたのですか?

僕、最初はエンジニアとして言われた。でも、僕エンジニアやりたくないって言ったら、何やったかな、プロデューサーかディレクターか何か、そういう系の仕事できてくれみたいなこと言われました。

-最終的にそこに行かなかったわけですが、その行かなかった理由としては何がありましたか?やはり新卒で1000万円近いお金が貰えるというオファーなので、それなりに大きな理由になると思いますが、そのオファーを断った一番の原因何ですか?

理由としては、当時僕の選択肢としては、そこに行くのと、行かずに自分でやっていく、この二つぐらいかなと思ってたんですけど。実際どっちの選択取ったとしても、その先の未来を考えたときに…。その大きい企業行ったとしても、いいこともあるし、悪いこともある。自分でやったとしてもまた然りで。

-なるほど。どちらに進んでも悪くなるかも知れない。フィフティーフィフティーだということですね。

実際自分でやったとしても、同じようにフィフティーフィフティーあるなっていうので、あんま未来考えても意味ないなと思って。それで実際イメージしたのが、入社初日、もし企業入ってたら、企業行って初日迎えたときイメージしたら、みんなの前で自己紹介するのとか、そういうのがめっちゃ嫌で。また知らん人らと同じとこからスタートで、知らん人にまた挨拶して仲良くなって飲みに行って、もう何かそういうのがめっちゃ嫌やなって思ってしまって。それで明日からは今まで通り楽なままで行こうかなって。それで自分でやっていくことにしました。

自分を捨てて目の前のことをやりきる

-では最後に、今プログラミングに挑戦したい学生や営業に挑戦したい学生の中で、久保田さんが歩んできた道を辿りたい学生はたくさんいると思いますが、その学生たちにに向けて、メッセージを一言お願いします。

そうですね、僕のイメージとして、インターンって就活のためとか、自分のスキル付けるためとか、そういう目的がありそうな感じするけど、実際みんなそんな深くまで考えてないんちゃうかな、そこのことは。そうなったらほんまに目の前のこと、全力でやるだけじゃないかな。考えてるとは思うんですけど、未来のこと。それよりもまずは目の前のことを全力でやりきることの方が大事やろなって思います。

-それは本当にその通りですね。実際、今も昔も教育しているスタンスはほとんど同じです。みなさん最初は、かなり外れた具体的なものを目的として設定して来られますが、実際のところ、本気で成果を残している方というのは、この具体化してる自分の目標が会社としっかりとフィットしています。それが徐々に抽象化されてきて、会社の理念に浸透していくような考え方になり、最終的には目の前のことの質をどう高めていくかっていうことしか考えていないようになっています。要は「自分を捨てろ」ということですね。

そうですね、そういうことを伝えたかった。僕もそうやったんですけどそれを繰り返していくと、気が付いたときには、その点を繋いでいった今日話してたみたいなストーリーが出来上がっていく。それでそのストーリーが魅力的に聞こえるようなものに気付いたらなってる。だからみんなにはまず自分を捨てて目の前のことを頑張ってほしいですね。

 


入社後のステップ

・入社後メディアチームに所属し、大学の授業と並行しながら取り組み、メディアチームインターンの基盤を作る
・メディアチームでの取り組みが評価され、「プログラマー養成講座」に挑戦し、2週間でクリア
・その後プログラマーとして社内の業務ツールの作成や社内システムの管理に従事
・プログラマーとして業務を行う傍ら、自身が開発したタスク管理ツール「neckr」が起業家甲子園で優秀賞を獲得

メンターの声

代表取締役クリエイティブディレクター/福本真士

久保田君は初めは本当に何もできませんでした。そして、会社としても仕組みがない状況でインターンとして来てくれました。仕組みがなく、今よりも苦しい状況であったにも関わらず、自分自身を追い込み、「どうすれば今この状況を解決できるのか?」を考え抜くことができた学生だったと思います。
その姿勢がプログラミングという今までになかった武器や、久保田君自身を語っていく貴重なストーリーを作り上げていくことができました。今後も今この瞬間に全力を注ぎ続け、人として他を圧倒し続ける存在であって欲しいです。